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掌編_20200103

 シシシという男がここで刺されて死んだのだという。街のいたる所に書きつけられている人名の故を、果物を売っていた女に尋ねたのである。粘質の土と藁が練り混ぜ合わされた砂漠色の壁面に、スプレー塗料で黒々と吹き付けられたXi-Xi-Xiの文字の下には、彼が死んだ日付だと思われる数字も書かれていた。

 

「書かなきゃ忘れちまうんだよ。この街ではあんまりにも人が死ぬから」

 

 人の手首くらいなら容易に刎ね飛ばせそうなほど大きな包丁でもって、名画が収められていた額縁のようなパイナップルを縦半分に叩き割りながら、果物売りの女はそう言った。大きなパラソルが彼女と彼女が牽いてきたであろう荷台、パイナップルを処刑するために積み上げた木箱らを照りつける日差しから守っていたが、荷台に積まれた果物には羽虫が集り、この通り一帯になんとも言えない匂いを発していた。彼女から買ったカットパイナップルを食べながら、僕は再度訊ねごとをした。

 

「火葬場に行きたいんですが、場所は分かりますか?」
「火葬場? 旅行者が? なんの用向きで?」
「腹違いの弟が働いているらしいんです」

 

 果物売りは腹違い、と言いながら、木箱の上に置かれたパイナップルに再度包丁を振り下ろしたあと、「あれに付いていくといいよ」と言葉を接いだ。彼女の視線の先へ目をやると、向こうの通りをひとりの男が歩いていた。若い男だ。その背には老人を担いでいる。彼はほとんど襤褸といってもいい布を腰に巻きつけ、分厚い唇を半開きにしながら、ゆっくりと進んでいた。担がれている老人も似たような格好をしていた。目は濁り、唇は乾き、身体の一切を若い男に預けているようだった。果物売りが「熱中症だろうよ」と言って、僕はようやくその老人が死んでいることに気づいた。

 

 

 火葬場は川を挟むようにして建てられていた。薪に布や個人の思い出の品を焼べて、遺体を家族の目の前で燃やし、残った骨と灰は川に流してしまうのだとィェルボは言った。

 火葬士たちは火葬場近くに設えられた小屋に住んでいる。6平方メートル程度の部屋に2段ベッドがふたつ。小さな窓からは陽射とともに火葬場の煙々しい空気が流れ込んでいた。

 「母に似たんだ」ィェルボは言った。「あなたは父に似ている気がする。会ったことはないけど」

 確かに僕は父に似ていた。ィェルボ——腹違いの弟に注がれた「視線」なる妙な名前の酒に少しだけ口を付けて、あなたのことは父が死ぬ間際に聞いたんだ、と告げた。

 父が死んだのは今年の6月だった。病院のベッドの上で、ほとんど骨切れのようになっていた父は、異母兄弟の存在を僕に伝え、その”息子”に手紙を渡してほしいと要請した。僕は鎮痛剤の影響で途切れ途切れになる父の言葉を、出来損ないのパズルのように組み立てて、なんとかここにたどり着いたのだった。

「父はあなたに謝りたい、と言っていた。あなたの母への送金は何年も途切れていたとか」

「俺が生まれてこのかた、母が金を持っていたところなんて見たことないね」

「あなたのお母様は?」

「目を病んで、死んだ。18年も前の話だ」

 それから、ィェルボは自身の半生を語り出した。6歳で天涯孤独の身となったこと。この火葬場の川下で川底を浚い、燃え残った副葬品や金歯などを売って暮らしてきたこと。見ているうちに火葬士の仕事の勝手を覚え、14歳で雇われたこと。

 

「寝る場所も、少しの金も、酒も手に入る。万々歳だよ。……煙草はある?」

 

 僕が煙草を差し出すと、ィェルボは小さく礼を言って、煤だらけのハーフパンツからマッチを取り出し、火を付けた。僕は再度「視線」を口の中に含んだ。大の大人が飲むには甘すぎ、スイーツが好きで・粋がっているティーンエイジャーにはあまりにも強すぎる酒だ。

 ィェルボは黙って煙草を吸った。器を用意するでもなく、窓の外に落とすでもなく、灰を床にさりさりとこぼした。ベッドの木枠で煙草の火をもみ消し、窓の外に吸い殻を投げ捨てた後、「手紙は?」と言った。僕はその質問に答えず、「この街を出ないのか?」と聞いた。

 

「街を出る?」

「父は少しの遺産を残した。この街を出て、他の場所で数年やっていける程度にはある。手紙の中に小切手が入ってる。ここに来る前、少しだけこの街を回ったんだ。あなたが育った土地を悪く言うつもりはないけど、ここは、その……環境が良くないと思って」

 

 ィェルボは僕の言葉を聞いて、少し驚いたような顔をした。その表情のまま、彼は「視線」が入った瓶を左手で持って、右手のグラスに注ぎ、喉が灼けるくらい甘ったるくて強い酒を一気に流し込んだ。それから、「家族なんだ」と言った。

 

「もうこの街が家族なんだ。足に根が生えてる。せっかくの申し出だけど、断ることにするよ。……手紙を」

 

 僕は父に預けられた封筒をィェルボに渡した。彼はこの街のどこを見渡しても見つけ得ないような薄く儚い水色の封筒を、開くことなく眺めた後、マッチを擦り、火を付けた。

 

 封筒の端に食らいついた炎が淡い水面をみるみるうちに侵掠する。わずかに残った炎を彼が吹き消した時には、逝かんとする父が息子に宛てた思いも、彼がこの街から抜け出す機会も、何もかもが灰になっていた。パパ、俺が燃やしたかった。俺が天国に連れてやりたかった。ィェルボはそう言って、窓の方を向いた。陽光が彼の一筋の涙を通り、屈折した。僕はそろそろ行かなければ、と彼に告げた。「また会おう。いつでも来てくれ」そう返したィェルボと握手をした。川を浚い、幾人の遺体を燃やしてきた、象牙のような掌だった。間も無く、僕はその場を辞した。

 

 ィェルボの訃報が届いたのはそれから三年後だった。彼は盗人と間違えられ、群衆に袋叩きにあったのだという。その電話を受け、しばらく呆然としたがその時開いていた本の余白にyi-el-boと書き入れた。今も、あの街のどこかに弟の名前が記されている。