最近笑ったこと、なんで笑ったのか|玉置浩二、玉袋筋太郎、街裏ぴんく、バベル
(20:19)
「この芸人さんが好き」から一つ進み、「この芸人さんのこのネタが好き」よりも進み、「この芸人さんのこのネタのこのフレーズが好き」まで行ってしまう。好きなネタのフレーズばかりを何度も何度も聞き返し、思い返し、にやけ顏を我慢しながら、「どうしてこのフレーズはこんなに面白いんだろう」といつも考えている。
ここ1週間ほどはたった4つの動画で四六時中笑っている。以下の4つである。
ラストが面白すぎて何回見ても笑う pic.twitter.com/dNDvRvTjzM
— ーCcCcC (@subndesu) 2020年3月13日
町中華で飲ろうぜ!名古屋編で玉袋筋太郎がウーロンハイ濃いめのガツンとクる感じを“硬ぇ〜”って表現してたの良かった pic.twitter.com/LgV7RcJ6oZ
— kim morrison (@kimmorrison1981) 2020年3月13日
2020/03/13 ①【バベル(ラフィーネ)】TBSラジオ「マイナビLaughter Night」
フリ・タメ・オチ
ラストが面白すぎて何回見ても笑う pic.twitter.com/dNDvRvTjzM
— ーCcCcC (@subndesu) 2020年3月13日
この動画は本当にすごい。「フリ・タメ・オチ」の概念を幼児にも伝えられるのはこの動画しかないと思う。全世界どこで出しても笑ってくれるはず。"This Japanese singer lol"なんてtweetしようものなら前澤社長なんて目じゃないくらいバズる可能性を秘めている。
気持ちが沈むようなことがあっても、玉置浩二の消え入りそうな「にぃ〜〜〜〜……」を聴きさえすればしばらくは立ち直れそうな気さえする。非常に安心感のある笑いというか、なんかもう感動さえしてしまう。
「笑い」や「恐怖」≒「驚き」って(『JOKER』のレビューでも書いたけど)、常識とか規範・コードとか予想から、現実が外れるからこそ生まれるのだと思う。「フリ」は相手に現実の予測をより強固にさせる働き、「タメ」はその予測を改めて再確認させる働きがあって、「オチ」はその強められた「こうあるだろう」という予測とのギャップが大きければ大きいほど爆発的な感情の動きをもたらす。
そういう意味で、玉置浩二の「フリ」(=信じらんないくらい上手い歌)、「タメ」(=ラストの休符・盛大かつ伸びのある「にぃ〜〜!!!!」への期待)、「オチ」(=信じらんないくらいか細い「にぃ〜〜〜………」)はもう完璧。黄金比。これ以上ない。義務教育に取り入れるべきだよこの映像は。
わけわからんけど、わけわかる
町中華で飲ろうぜ!名古屋編で玉袋筋太郎がウーロンハイ濃いめのガツンとクる感じを“硬ぇ〜”って表現してたの良かった pic.twitter.com/LgV7RcJ6oZ
— kim morrison (@kimmorrison1981) 2020年3月13日
この動画も本当にすき。玉置浩二の動画で「笑い=予測と現実のギャップ」みたいなことを言ったけど、玉袋筋太郎がめちゃめちゃ濃いウーロンハイを飲み、「濃い!」と驚くのではなく「硬ッッてェ………」と嘆ずることには、「にぃ〜〜〜!!!!!」⇄「にぃ〜…………」ほどのギャップが存在しているわけではない。
けれど、濃いウーロンハイを飲んで「硬い」と表現するこの言語感覚に、何か覚えがあるような気がしてならないのである。「全然意味分かんない、なんだよウーロンハイが硬いって、クソおもろいわ」と思っている自分を、「あ〜〜〜〜〜!硬いウーロンハイ、めっちゃ分かるな」と思っている自分が見つめているのだ。
こういう感じのお笑いで思い出すのは、決まってチュートリアルの漫才だ。徳井さんがネタを書く時、「わけわからんけど、わけわかる」を意識している、みたいな話を目にした時、だから面白いんだ、と感動したことを覚えている。
福田さんの自転車のチリンチリンが盗まれれば本気で悲しみ、福田さんの家に冷蔵庫が届けばある種のフェティシズム的な興奮を隠さない様子を、「意味わからん、でも分かる、おもろい」と笑っていたからこそ、この玉袋筋太郎の動画がたまらなく愛しい。そういえば初めて買ってもらったお笑いのDVDってチュートリアルの『チュートリアリズム』だったな……
シュールレアリズム
さっきからそこにあったんじゃないかと思うほどにリアルなアスレチックになったんです
さっき『チュートリアリズム』の話をしたので、語感だけで文章を進めてしまうのですが、このボケってめちゃめちゃシュールレアリズムじゃないですか?
で、「シュールレアリズム」は日本語にすれば「超現実主義」なわけですが、この「超現実主義」は「現実」を「超」えるから超現実、ではなくて「めっっっっっっちゃめちゃ現実」って意味での「超現実」なんだ、という話をルネ・マグリットの画集の解説で読んだことがある。
たとえば頭がダンベルになってしまったり、布を被った人間同士が接吻していたり、曇り空に鳥型の青空が浮かんでいたり、男性の顏の前に青リンゴが浮かんでいたり……そういう事物と事物の偶然の出会い、だけど自分たちが想像できうる何かの限界、的なところが「超現実」なんだ、というような解釈を勝手にしているのですが、この「急にそこにあったかのようなアトラクションになった」ってまさにそんな感じのボケだと思っている。「さっきまでそこにあったかのような」って形容詞が現実感を補強していて、余計恐ろしくて、余計おかしい。
お笑いのある世界に
2020/03/13 ①【バベル(ラフィーネ)】TBSラジオ「マイナビLaughter Night」
「お飲み物はどうなさいますか?」
「ビール」
「ビールはマサキでよろしいですか?」
「マサキ?」
「マサキビールっていう……まあ、ヒサシさんって方が作ってるんですけども」
「じゃあヒサシでいいだろなんなんだよ」
「でもまあ……豚カツです はい 豚カツ マサキビールっていうのは、ヒサシさんっていう方が作ってる豚カツです」
「……これは誰がバカなの? この話は一体誰がバカなの!?」
「まあおおもとは辻希美、ですね」
先週のマイナビラフターナイトでいっとう面白かったボケ。これはなんでこんなに面白いのか分からない。ここまで書いた3つのお笑いの中だと、玉袋筋太郎の動画と街裏ぴんくのネタの間くらいって感じなのかな。なんにせよこの漫才はずっとげらげら笑っていた。オズワルドも超面白かったけど、今週はバベルだな〜……
賞レースに出ている芸人のネタに得点を付けていくような無粋なお笑いの楽しみ方は多分これからもしないし、でも面白いフレーズに対して「なんでこんなにおもろいんだろ」と考え込んでしまうのは一生辞められない気がする。でもたいていの嫌なことはこういうことを考えているうちにいつの間にか忘れてしまう。多分明日もYoutubeに投稿された芸人のネタ動画を見たり、今夜のアルピーdcgを聴いたりしてげらげら笑うんだと思う。空気階段風に言うなら、お笑いのある世界に生まれて本当に良かった。
踊り場、北野映画みたいな話のコーナー、ずっとすごいからみんなも聴いてほしい。(20:44)