cqhack_blog

Twitter :@cqhack

人を殴ったり人に殴られたりしなくなった

22:10

多感な時期を黒人に殴られて過ごしていた。比喩ではなく、本当に殴られていた。

 

小学生の時に空手をはじめた。極真空手という流派である。いわゆる「フルコンタクト空手」で、普通に相手を殴ったり蹴ったりする。時間いっぱい他人に暴行をはたらき、「あなたの方が相手をボコボコにしました」と審査員の承認を得ることができれば勝ち、というルールだった。もちろん語弊しかないので鵜呑みにしないでください。

 

 

無駄に体が大きかったので、小学五年生の頃には大人に混じって練習させられていた。そして中学三年間、毎週二回か三回、うつくしい黒い肌を持った男性(全然手加減してくれないので練習中は大嫌いだったが、普段はとても優しい人だった)や刺青だらけの男性(怖かったので一回も喋ったことがない)、めちゃめちゃ体が硬いおじいちゃん(意味がわからないくらい強かった)に毎週ボコボコにされていたのだった。

 

妙なことを書くけれど、自分のみぞおちに相手の拳がきれいにめり込んだ瞬間の、「あ、これは死んだな」という感覚がたまに恋しくなる。めり込んだ瞬間は痛みも苦しみもないくせに、拳が鳩尾から離れた瞬間、その空隙を埋めるようにして苦痛が漏れ出してくるあの感覚が今でも忘れられない。左脇腹に足指のつけ根が押し込まれてきて蹲ったり、顎の先を足の甲が擦っただけなのに目が裏返って、いつのまにか天を見上げていたことがない人にはわからないと思う。

 

同様に、人を殴った時の感覚をたまに思い出すことがある。なんとなしに差し出した拳が相手を侵略したり、自分の足が人の意識を刈り飛ばしたりした時の光景がフラッシュバックする。はじめて公式試合に出た時に、「ああ今から本気で人を殴ったり蹴ったりするのか」と思ったら、体の表面が熱く、内奥が冷たくなったのを覚えている。

 

いまは「あ〜人を殴りたいな〜」なんて微塵も思わない。ただ、相手を蹂躙したり蹂躙されたりした経験は得がたいなと思っている。もう随分のあいだ、人を殴っていないし、人に殴られてもいない。空手はすっかり嫌になって高校生の時にいちど逃げ出した。24年間生きてきて、空手以外で人に暴力を振るったことがない。喧嘩もほとんどしない。

 

ただ、時々、無性に『ディストラクション・ベイビーズ』を観たくなる。柳楽優弥がひとを殴ったり殴られたり、菅田将暉がはしゃいだりする映画である。一年に二回は観ていると思う。というか、いま、まさに観ている。

 

前回は『実録 泣くほどボコられてはじめて恋に落ちました。』を読んで、「あ〜! 暴力といえば!」と思って『ディストラクション・ベイビーズ』を観たおぼえがある。今日はなんで観ているんだろう。何か暴力的な光景を目にしたわけでもない。強いて言うなら口内炎がたくさん出来ている。こんな些細な痛みでも暴力だと感じるほど平和な暮らしをしているということかもしれない。(22:30)