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足の痺れ、「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」、自動操縦

(23:01)

変な座り方をしていたら右足の母趾球部分だけが痺れる。親指の先端には辛うじて感覚が残っているような気がした。立ち上がろうとすると、まるで右足の甲を穿つ穴ができたような心地。

そもそも足はどういう仕組みで痺れるのかしら? よく考えたら「痺れ」って意味分かんねえな、と思って業務中に「足ってなんで痺れるの?正座とか」という狂人専用のクエリで検索をかけてみる。WEBマーケティングに携わる者として、口語検索のSERPsはチェックできる時にチェックしなくてはならない。というのは嘘で、なまじタイピングが早く、ちょっとした検索程度なら思考と文字入力が並走してしまい、思ったことを検索窓にそのまま打ち込んでしまう悪癖を持っているだけである。

強調スニペット曰く。正座や奇奇怪々な姿勢を取ると神経系が圧迫され血の巡りが悪くなる。血の巡りが悪くなると神経は脳に「ねえ!!! 血来てないよ!!! やばくない!?!?!?!? 助けて!!!!!」とシグナルを送るらしいのだが、その注意信号を脳は「痺れ」として処理するとのこと。因みに痺れを無視してそのまま血液を留めていると神経系は注意信号を送る体力さえなくなって、完全に感覚が消え去るらしい。

何回か「痺れの向こう側」に行った記憶がある。特に印象深いのは、小学校〜中学校で習っていた空手の稽古中のことである。指導者から指令が出るまで足を崩してはいけないルールがある中、ある日の稽古中、師範代に完全に存在を忘れられた自分はまるまる40分の間、馬鹿正直に正座をし続けたのであった。その時は「痺れの向こう側」の壁にタッチして「痺れのこっち側」に戻って来てしまったせいで足に激痛が走り、素知らぬ顔で正座から胡座に姿勢を変じたのであった。

 

気まぐれな君の色 部屋に吹くぬるいその色

壁が鳴り痺れるチェロ すぐに忘れてしまうだろう

 

穴が空いた足を引きずっていると、イヤホンから絢香カバーの「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」が流れる。自然と「痺れ」の語を耳が拾いとるが、よくよく考えるとこの歌詞は意味が分からない。

「気まぐれな君の色」は分からなくもない気がする。例えば人柄を「色」と例えることは往往にして有り得る。けれど、「部屋に吹くぬるいその色」はちょっと分からない。色温度ということばもあるくらいだから、「色」を「ぬるい」と表現するのは分からなくもないが、しかし「吹く」とは何事かしら。部屋に「ぬるい色」が吹く?

さらにもっと分からないのが、「壁が鳴り痺れるチェロ」部分である。「チェロが鳴り壁が痺れる」だったら解すに難くないのだけど。「壁が鳴って」→「チェロが痺れる」だと、例えば隣室でばかでかい音を鳴らし、その振動で壁が揺れ、チェロの弦も微かに揺れる(=痺れる)ということ? しかも部屋には「気まぐれな君のぬるい色」が「吹」いている。どういう状況?

などと考えている内に洗い物がすっかり終わる。排水溝だって掃除している。物思いに耽りはじめると、しばしば身体が自動操縦モードに切り替わるので、助かる。なんと便利な身体だこと。積極的に物思いに耽りたいものである。次は風呂場の掃除をしたいので、シャワーを浴びている最中に天啓を得たい。

(※試験的にnoteにも全く同じ内容の文章を載せています)

(23:30)